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Odilon Redonは、フランス、象徴主義の画家である。病弱だったため、学校には親しめず、デッサンと音楽を楽しんだ。ボルドーの美術館で、ミレー、コロー、ドラクロワ、モローなどに感銘を受けたという。アカデミックな教育に敵意を抱き独学である。ルドンは印象派の画家たちと、同じ世代であるが、印象派の感覚的であるだけの世界に不満を持っていた。彼は、もっと想像力を大切にしたかったし、独自のイメージを創り上げていきたかった。印象派の色彩表現に、惹かれながらも、あえて白黒の版画を利用し想像力を磨いた。木炭素描、石版画、銅版画などを使用して、白と黒の世界に埋没した。色彩よりも黒がはるかに優れた精神の代理者と考えた。50歳代終わりくらいから、色彩の世界に専念するようになる。綺麗な色を使いながらも、黒の時代の謎と不安が影を引いているような作品であった。
後年、ナビ派の画家たちはルドンのことを「われらのマラルメ」と呼び、敬意を払った。死後、シュルレアリストたちは、幻視、幻覚、ファンタジー性があり、ルドン自身が作品を無意識的方法と述べたことから、シュルレアリズムの先駆者と見た。1913年にはアメリカにおけるヨーロッパ現代美術紹介の展示で、マルセル・デュシャンも出品していた1室を与えられ、展示した。
画像;上から
・ルドン
・眼=気球
・蜘蛛
・閉じた眼
・キュクロプス
・仏陀
・トルコ石色の花瓶の花
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