2010年12月12日日曜日

フェリシアン・ロップス







 Félicien Ropsは、ベルギーの耽美主義の画家で、エッチングやアクアチント技法の版画家である。ロップスは油絵よりもスケッチが得意で、最初戯画絵師として名声を得た。その後、晩年のボードレールと出会い、ロップスは一生忘れることのできないほど強烈な印象を受けたという。ロップスはボードレールの『漂着物』の口絵を描いた。この本は、フランスの検閲で削除された『悪の華』の詩を集めたもので、当然ながら、ベルギーで出版された。

 ボードレール、ならびに、ボードレールが表現した芸術と関わることで、様々な作家たちからの賞賛を得た。ロップスは象徴主義・デカダン派の文学運動と関係を持ち、そうした作家たちの詩集にイラストを描いた。詩の内容同様に、ロップスの作品も、セックス、死、悪魔のイメージが混在する傾向が強かった。

晩年、ロップスの視力は衰えたが、死ぬまで文学との関わりは持ち続けた。


画像上から

・「ロップス」

・「漂着物」口絵

・「ポルノクラート」

・ドルヴィ「Diaboliques」口絵

・「Le Mannequin」

・「聖アンヌワーヌの誘惑」

2010年12月11日土曜日

ジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラー







James Abbott McNeill Whistler

 19世紀後半のアメリカ人の画家、版画家である。おもにロンドンで活動した。印象派の画家たちと同世代であるが、その色調や画面構成などには浮世絵をはじめとする日本美術の影響が濃く、印象派とも伝統的アカデミズムとも一線を画した独自の絵画世界を展開した。

 耽美主義(※1)の代表的画家とも目されるホイッスラーの絵画は、現実世界を二次元平面に再現することよりも、色彩と形態の組み合わせによって調和のとれた画面を構成することを重視していた。作品の題名に「シンフォニー」「ノクターン」「アレンジメント」などの音楽用語を多用することも、絵画は現実世界の再現ではなく、色彩と形態から成る自律的な芸術だとする彼の姿勢の反映といえる。こうした彼の絵画に対する考えは、印象派やセザンヌなどに通じるものだが、ホイッスラーの用いる色彩は地味で、モノトーンに近い作品も多く、光と色彩の効果を追い求めた印象派の作風とは一線を画している。イギリスでは1862年ロンドン万国博覧会以来、日本の美術工芸品が紹介されており、上述のようなホイッスラーの作風にも浮世絵などの日本美術の影響が指摘されている。

 ホイッスラーの代表作の1つである『青と金のノクターン-オールド・バターシー・ブリッジ』は、ロンドンのテムズ川に架かる平凡な橋を描いたものだが、橋全体のごく一部を下から見上げるように描いた風変わりな構図、単色に近い色彩、水墨画のような、にじんだ輪郭線などに日本美術の影響が感じられる。

 1877年にロンドンのグローヴナー・ギャラリーにホイッスラーが出品した『黒と金色のノクターン-落下する花火』は、ほとんど抽象絵画を思わせるまでに単純化された作品であった。同時代の批評家で、ラファエル前派などの新しい芸術運動の理解者であったジョン・ラスキンもこの作品は理解ができず、「まるで絵具壷の中味をぶちまけたようだ」と酷評した。このため、ホイッスラーは名誉毀損でラスキンを訴えるに至る。ホイッスラーは訴訟に勝ちはしたものの、多額の訴訟費用を支払うために自邸を売却するはめになった。


※1道徳功利性を廃して美の享受・形成に最高の価値を置く西欧の芸術思潮である。これを是とする風潮は19世紀後半、フランス・イギリスを中心に起こり、生活を芸術化して官能の享楽を求めた。1860年頃に始まり、作品の価値はそれに込められた思想やメッセージではなく、形態と色彩の美にある、とする立場である。


画像上から

・ ホイッスラー

・「白のシンフォニー第1番-白の少女」

・「青と白のノクターン-オールド・バターシー・ブリッジ」

・「灰色と黒のアレンジメント-母の肖像」

・「灰色と緑のハーモニー-シスリー・アレクサンダー嬢」

・「黒と金色のノクターン-落下する花火」


2010年12月5日日曜日

カルロス・シュヴァーベ







 Carlos Schwabe,は、ドイツ生まれのスイス人画家である。彼はパリで、象徴主義運動のサークルの中で活動を始める。シュヴァーベの絵で特徴的なのは、ギリシア神話や寓意の人物を描く点である。文学通の画家として、本の挿絵を依頼される。エミール・ゾラの『夢』、シャルル・ボードレールの『悪の華』、モーリス・メーテルリンクの『ペレアスとメリザンド』、アルベール・サマン(en:Albert Samain)の『王女の庭で』などを手掛けた。シュヴァーベは以後の人生をフランスで送りる。


画像上から

・シュヴァーベ

・墓掘り人夫の死

・憂鬱と理想

・悪夢(「波の習作」)

・Acuarela sobre papel.

・エリュシオンの野


2010年12月4日土曜日

オディロン・ルドン








Odilon Redonは、フランス、象徴主義の画家である。病弱だったため、学校には親しめず、デッサンと音楽を楽しんだ。ボルドーの美術館で、ミレー、コロー、ドラクロワ、モローなどに感銘を受けたという。アカデミックな教育に敵意を抱き独学である。ルドンは印象派の画家たちと、同じ世代であるが、印象派の感覚的であるだけの世界に不満を持っていた。彼は、もっと想像力を大切にしたかったし、独自のイメージを創り上げていきたかった。印象派の色彩表現に、惹かれながらも、あえて白黒の版画を利用し想像力を磨いた。木炭素描、石版画、銅版画などを使用して、白と黒の世界に埋没した。色彩よりも黒がはるかに優れた精神の代理者と考えた。50歳代終わりくらいから、色彩の世界に専念するようになる。綺麗な色を使いながらも、黒の時代の謎と不安が影を引いているような作品であった。

 後年、ナビ派の画家たちはルドンのことを「われらのマラルメ」と呼び、敬意を払った。死後、シュルレアリストたちは、幻視、幻覚、ファンタジー性があり、ルドン自身が作品を無意識的方法と述べたことから、シュルレアリズムの先駆者と見た。1913年にはアメリカにおけるヨーロッパ現代美術紹介の展示で、マルセル・デュシャンも出品していた1室を与えられ、展示した。


画像;上から

・ルドン

・眼=気球

・蜘蛛

・閉じた眼

・キュクロプス

・仏陀

・トルコ石色の花瓶の花

2010年12月3日金曜日

ウィリアム・ホルマン・ハント







 William Holman Huntは、19世紀から20世紀のイギリスの画家。ラファエル前派の一員に数えられる。

 ロンドンのロイヤル・アカデミー付属美術学校の学生であったハントは、学友のジョン・エヴァレット・ミレー、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティらとともに「ラファエル前派」(Pre-Raphaelite Brotherhood)を結成した。前述のように「ラファエル」とはイタリア・ルネサンスの巨匠であり、西洋古典絵画の代名詞とも言える画家ラファエロのことを指す。「ラファエロ以前」という言葉には、19世紀当時のアカデミーにおける古典偏重の美術教育に異を唱える意味があった。ラファエル前派に思想的な面で影響を与えたのは、同時代の思想家であり美術批評家であったジョン・ラスキンであった。ラスキンの美術に対する考えは、一言で言えば「自然をありのままに再現すべきだ」ということであった。この思想の根幹には、神の創造物である自然に完全さを見出すというラスキンの信仰がある。しかし、明確な理論をもった芸術運動ではなかったラファエル前派は、長続きせず、ミレーがロイヤル・アカデミーの準会員になったことなどをきっかけとして、数年後にはグループは解散した。

 ラファエル前派の主要メンバーであった上記3人のうち、ミレーとロセッティは徐々に芸術的方向性を変えていった。そうしたなかで、ラファエル前派の画家としての特色を最後まで保っていたのがハントであった。

 その特色とは、聖書、伝説などに主題を求めることと、画面のすみずみまで徹底的に描き込んだ細密描写であり、ラスキンの「自然の忠実な再現」という思想をもっとも忠実に実行した画家であったといえる。徹底した写実主義者であったハントは、聖書の物語を絵画化するためには、物語の起きた現場を見なければ描けないと考え、パレスチナを3度も訪れている。徹底した写実にもとずくハントの宗教画はここに起因する。ハントはその生涯をかけて、ラファエル前派の概念を守り、例示していった。


画像上から

・ハント

・トスカーナの少女

・婦人像

・雇われ羊飼い

・世の光

・わがイギリズの海岸(迷える羊)


2010年12月2日木曜日

ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス









 19世紀イギリスに生まれたラファエル前派の特徴は、自然観察に基づく厳格な細部描写と歴史的素材をロマンティックに表現する柔和な姿勢である。

 1847年、イギリスで若い画家たちの間で小さなグループができた。彼らは今日のつまらない芸術に激しく反発し、絵画をもっと崇高な道徳的なものにしようとした。

 アカデミーは、ルネサンス期のラファエルの絵画を模範としていた。しかし若者たちは、ラファエルはあまりに劇的すぎて、わざとらしいと考えた。彼らはイギリスの絵画を、アカデミックな様式から解放し、ラファエル以前の、絵画の素朴さへと返そうとした。これが「ラファエル前派」の運動である。

 イギリスは、社会的な抗議行動の機運が高まってきている時期であった。アイルランドが飢饉に見舞われ「ハングリー・フォーティーズ」と言われたのは1840年代であった。倦怠感が覆っていたイギリスの画壇では、大きな変化が必要だったかもしれない。

 グループは、ギリシャ神話やアーサー王の伝説、シェイクスピア、キーツの詩などから主題を借り、好んで描いた。ラファエル前派グループ自体は、1850年代までしか続かなかったが、人気は衰えず、その後のアート・アンド・クラフト・ムーヴメントや象徴主義へ、大きな影響を与えた。

 

 今日のミュージアムのジョン・ウィリアム・ウォーターハウス(John William Waterhouse)は、ラファエル前派の代表的な画家である。

 ウォーターハウスに描かれる彼女たちは魅惑的だ。艶やかで、そのくせどこか近寄り難い高貴な美しさを纏う。自らが美しいことを誰よりもよく知り、知っているからこそけして誰にも媚びない。許される前に手を触れようものなら、幻影に酔ったまま何処か未知の世界に引きずり込まれそうだ。崇高で無垢な…まるで人を惑わせる、あやかしのように。

 彼は代表的なラファエル前派とされるものの、その個性は本来ロマン的古典派とでも呼ぶべきかもしれない。


 ウォーターハウスは、ムンクと同様に幼い頃に母と弟を結核で失っているが、彼のの絵からは、荒涼とした感覚は微塵も感じられない。ムンクが幼い傷により病んだ精神を直視したのに対し、ウォーターハウスはその経験から、甘美なイリュージョンに安息を求めたように見える。1874年、初めてのアカデミー出展作『Sleep and his Half-Brother Death(眠りと異母兄弟の死)』では、神話の世界を借りて叙情的に個人的な哀しみが描かれ、彼の持つ表現の個性がうかがえる。


(画像)上から

・ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス

・眠りと異母兄弟の死

・クレオパトラ

・オフィーリア(1894)

・オフィーリア(1910)

・人魚

・受胎告知

・シャロットの女




2010年12月1日水曜日

アーサー・ヒューズ







 Arthur Hughesは、前述のモリスと、ほぼ同時期の同じイギリスの画家である。彼の作風はラファエル前派を連想させるが、ラファエル前派のメンバーではない。

 最もよく知られる彼の作品は「エイプリル・ラヴ」や『長い婚約期間』といった作品で、両方とも問題を抱えた恋人達が、愛や美といったものの儚さを見つめる様を描いている。これらの作品も、前述のジョン・エヴァレット・ミレーが、恋人達を描いた初期の作品を模倣しているが、自然の再生力に比べ、若々しさを保つ面での、人間の無力さを悲哀を持って描く点が、より強調されている。

 彼は自然派の影響を強く受け、彼自身も、文学的で幻想的なものを主題にした作品を多く描いているが、時代は前衛的なグループを迎合しており、派はすでに時代遅れと見なされていた。それでも彼は最後まで自分の形式を変えなかった。それゆえ彼は美術史上において「最後のロマン派」とされている。