2010年11月20日土曜日

ギュスターヴ・クールベ





 写実主義の画家、クールベは、当時の画壇の潮流であった、絵画の理想化を拒否。視覚に忠実なレアリスムを確立する。同朋の、ドーミエとジャン・フランソワ・ミレーとで、19世紀中頃の写実主義を推し進めた。

絵画の批評家や一般の人々は、実際の生活よりも良く描かれている絵画に慣れていたが、クールベはこれに反対した。普通の場所や人々をそのまま描いた。政府がクールベにレジオン・ドヌール勲章と授与しようとした。「それよりも私は自由がほしい」クールベはこう言い放ち、拒絶した。
 道路を直している労働者を描いた。さらに「オルナンの埋葬」で、無名の貧しい農民が取り囲んでいる、ひなびた埋葬の情景を描いた。これらの作品は、ロマン主義や古典的装飾様式の絵画のように、美化された金持ちを描くかわりに、農民を実際の背景の中に登場させた。故意にロマン主義と古典的装飾様式を擁護するアカデミズムを侮辱したのである
 また「 画家のアトリエ(わが芸術的生活の7年にわたる一時期を定義する現実的寓意画) 」 では「愛」「真実」「信仰」「死」のような目に見えないもの、形のないものを擬人化したり、静物画で表したりする、西洋絵画の伝統的な主題の一つであるが、クールベは、アトリエで制作する自分自身の姿と、周囲に集まる30人ほどの人々を描写したこの絵を「寓意」だと言っている。画中に描かれた人物たちは、全員が何らかの「寓意」を表しているとされ、おおむね画面の向かって右半分はクールベのレアリスム絵画を理解し支持する人々のグループであり、画面左側の人々は、クールベの芸術を理解しない不幸で悲惨な人々だと理解されている。

 クールベは、上記の作品のようなグループ肖像画のほか、森の中の動物を主題にした風景画や、官能的な裸婦像などにも傑作を遺している。http://ja.wikipedia.org/wiki/世界の起源

2010年11月19日金曜日

ギュスターヴ・モロー






「象徴派が求めたものは、目にみえない思想や魂を、絵にしていくことであった。」

 象徴主義は、フーズリーやフリードリッヒなどのロマン主義や、イギリスのラファエル前派の流れも含む。
 19世紀末は、絵画の世界以外でも、フロイトやユングが人間の心にメスを入れ始めていたし、思想界は、科学万能の意識に疑問を投げかけていた時期でもある。
 人間の精神的な、魂の部分をイメージにしていく、象徴主義が生まれてもおかしくない土壌はできていた。
 それは、まさに、クールベが見えるものしか描かない、と宣言し、モローが見えないものしか信じない、と言った、この対称が、端的に示している。

 前述のベックリン、クノップフ、ミレー(ラファエル前派)、そして今回のモローは、その中心的な存在であった。印象派の画家たちとほぼ同時代に活動したモローは、聖書やギリシャ神話をおもな題材とし、想像と幻想の世界をもっぱら描いた画家であった。彼の作品は19世紀末のいわゆる「世紀末」の画家や文学者に多大な影響を与え、象徴主義の先駆者とされている。
 また美術学校の教授となってから、自己の独創的美学を押し付けることなく、過去の巨匠に学び、個性を伸ばしていくよう指導した。のちにフォービズムを打ち立て、絵画の世界に革命を起こす、マティス、ルオー、マルケなどを育てることになる。

2010年11月18日木曜日

ジョン・エヴァレット・ミレー








 ラファエル前派の画家。歴史的・文学的主題を写実に基づく明るい色調と細密な手法で数多くの作品を手がける。中でもハムレットを典拠を得て制作した「オフィーリア」は同派の全作品の中でも屈指の傑作。
「オフィーリア」は、ウィリアム・シェイクスピアが手がけた四大悲劇≪ハムレット≫第4幕7章の一場面である。本場面は、デンマーク王子ハムレットが、父を毒殺して母と結婚した叔父に復讐を誓うものの、その思索的な性格のためになかなか決行できず、その間に恋人オフィーリアを狂死に追いやってしまう。オフィーリアは小川で溺死してしまうという内容で、ラファエル前派の画家やヴィクトリア朝の画家たちは同画題の作品を数多く制作している。ミレイもそれに則り本作を手がけたのであるが、後に同じラファエル前派の画家ロセッティの妻となったエリザベス・シッダルをモデルに、細密な写実描写で表現される死したオフィーリアの姿は、生と死の狭間にあってなお神々しいまでの美しさに満ちている。また本作の背景はサリー州ユーエルに程近いホッグスミル川の風景を元にして描かれているが、自然主義的な美的理念に基づき本背景の中に描写される草花には象徴的な意味が込められている。ヤナギは見捨てられた愛、イラクサは苦悩、ヒナギクは無垢、パンジーは愛の虚しさ、首飾りのスミレは誠実・純潔・夭折、ケシの花は死を意味している。
 画家の強い要望によりモデルを務めたエリザベス・シッダルは湯の張られたバスタブの中でポーズを取り続けた為に、ある日、風邪を拗らせてしまい、モデルの父親から治療費の支払いを請求されたという逸話も残されている。

2010年11月17日水曜日

フェルナン・クノップフ







フェルナン・クノップフは、19世紀末のベルギーで活躍した象徴主義画家。63年の生涯のほとんどを独身で過ごし、生涯にわたって6歳年下の妹マルグリットをモデルにした絵を描き続けた。「愛撫」(画像:上)
 クノップス作品の画面はどれも極めて静寂だ。画面の中から音が聞こえる気配が全くしない。しかし画面から抒情性を感じさせるわけでもない。そうしたところが死を予感させる。
 「私は私自身に扉を閉ざす」(画像:中)棺おけのようなものに肘を突いている女性…これもまた、モデルはクノップフの妹マルグリット。彼の憧れは、内へ内へと逃げ場を求めていたように思える。でも出口のないその渇望は、クノップフの内面に停滞し、蓄積し、永遠の夢の中に閉じ込められてしまったのではないか…。
(写真:下)妹マルグリット

2010年11月16日火曜日

アルノルド・ベックリン





アルノルト・ベックリンは、19世紀末のフランス印象派が、戸外にキャンバスを持ち出し、外光の下で身近な風景を描き出した印象派の画家たちとは対照的に、文学、神話、聖書などを題材に、想像の世界を画面に表そうとする象徴主義の画家であった。
 ベックリンは1827年スイスのバーゼルで生まれたが、青年期以降はヨーロッパ各地を転々とし、生涯の大部分をドイツおよびイタリアで過ごしている。フィレンツェ時代は円熟期に、この作品「死の島」が生まれている。
 この作品は暗い空の下、墓地のある小さな孤島をめざし、白い棺を乗せた小舟が静かに進んでいくさまを描いた神秘的な作品である。彼自身、このモチーフに魅せられていたようで、その生涯にこの題材で5点の作品を残している。この作品に見られるように、写実的で緻密な描法と、画面にただよう神秘的・幻想的な雰囲気がベックリンの特色である。20世紀のシュルレアリスム絵画にも大きな影響を与えた。
 第一次世界大戦後のドイツでは、非常に人気があり、一般家庭の多くの家に、複製画が飾られていた。中でもこの「死の島」は特に人気が高かったと言われ、複製画の他にポストカードの題材としても盛んに使用された。アドルフ・ヒトラーも彼の作品を好み収集していた。

2010年11月15日月曜日

ハンマースホイ








 ハンマースホイの絵画の大部分は室内風景画である。なかでも、1898年から1909年まで暮らしたコペンハーゲン、ストランゲーゼ30番地のアパートの室内を描いたものが多い。このアパートで制作された室内画には同じ部屋が繰り返し描かれ、アパートのどの部屋のどの位置から描かれたかが正確に特定できる。また、同じピアノ、テーブル、椅子、磁器製のパンチボウル、金属製のストーヴなどが多くの絵に繰り返し登場する。室内の様子には生活感や物語をうかがわせるものがほとんどない。室内に描かれる人物は1人か2人で、後ろ向きであることが多く、正面向きに描かれたとしても顔のタッチがほとんどぼかされるか影に入っているうえ、人物は鑑賞者と視線を合わせない。さらには、人物のいない、無人の室内を描いた作品も少なくない。このように、ハンマースホイの絵はタイトル以外、解釈の手がかりをほとんど排除している。同じ室内を繰り返し描く点などフェルメールのオランダ絵画の影響が指摘されるが、白と黒を基調としたモノトーンに近い色使いと静謐な画面はハンマースホイ独自のものである。
 室内画のほか、肖像画、風景画なども制作している。肖像画のモデルは家族と親しい友人に限られ、人物は鑑賞者と視線を合わせないように描かれることが多い。複数の人物を描いた集団肖像画においてもその点は同様で、画家の弟や友人らを描いた『5人の肖像』(1901 - 02年)では、描かれた5人の人物は互いに視線を交わすことなく、自らの内面と向き合っているようにみえる。宮殿などの建物や都市近郊の風景を題材にした風景画も制作しているが、ハンマースホイの描く風景には人物がほとんど登場しない。こうした静寂、寂寥感は、ジャンルや制作時期を問わず、ハンマースホイの作品全般に通じる特色である。

2010年11月14日日曜日

グスタフ・クリムト







 女性の裸体、妊婦、性など、赤裸々で官能的なテーマを描くクリムトの作品は、甘美で妖艶なエロスと同時に、常に死の香りが感じられる。また「接吻」に代表される、「黄金の時代」の作品には金箔が多用され、絢爛な雰囲気を醸し出している。この作風には琳派の影響も指摘されている。

 あまり知られていないが、クリムトはかなりの数の風景画も残している。現在の日本の画家で流行っているSカンバス(正四角形)を愛用し、平面的、装飾的でありながら静穏で、同時にどことなく不安感をもたらすものである。