2010年12月16日木曜日

ジャック=ルイ・ダヴィッド






Jacques-Louis David(1748~1825)


 18世紀フランス新古典主義最大の巨匠である。厳格で理知的な構図・構成と非常に高度な写実的描写、そして運動性の少ない安定的場面展開などを用いた絵画を制作し、フランス絵画界における新古典主義の確立者となる。また静謐で説明的な光彩表現や当時としては最先端の考古学に基づいた細部の描写、歴史的主題における英雄的性格なども同主義の典型として位置付けた。

 1748年、パリで生まれるも幼少期に両親を失い、叔父に育てられる。幼い頃から絵画に類稀な才能を示し、当時最も高名な画家のひとりであったフランソワ・ブーシェに学ぶことを望むものの叶わず、ジョゼフ=マリー・ヴィアンの許で修行をおこなう。そのため初期の作品にはブーシェの影響を見出すことができる。渡伊中、ローマでルネサンス芸術を学ぶと共に、画家が生まれた1748年に発掘された、ポンペイの古代遺跡の研究に沸く同地で、古代芸術こそ万人に共通する絶対的な「理想美」に最も近しいものとの意識を明確に抱き、以後、古典に基づいた作品を手がける。

 またダヴィッドは大規模な工房を構え、アンヌ=ルイ・ジロデ=トリオソン、フランソワ・ジェラール、アントワーヌ=ジャン・グロ、そして「アングル」など後の新古典主義を担う若い弟子を数多く育てた。


画像上から

・「自画像」

・「マラーの死」1793

・「レカミエ婦人の肖像」1800

・「サン・ベルナール峠を超えるナポレオン・ボナパルト」1801

・ 「皇帝ナポレオン一世と皇后ジョセフィーヌの戴冠式」1805~1807


2010年12月15日水曜日

ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル









 Jean-Auguste-Dominique Ingres(1780~1867年)は、フランスの画家である。19世紀前半、当時台頭してきたドラクロワらの「ロマン主義絵画」に対抗し、「ダヴィッド」から「新古典主義」を引き継ぎ、古典主義的な絵画の牙城を守った。

 ラファエロに対する極めて高い評価、入念に構成された調子の緊密な諧調、形体の幾何学的解釈など、師であった「ギョーム・ジョセフ・ロック」の影響が濃厚である。職務に追われた繁忙な時期にも屈指の傑作を描き上げている。ファイナルバーニッシュをも念頭に置いた平坦なテクスチャーは有名である。入念に組み立てられた文理・テクスチャーと徹底的に研鑽された描線、そして緊密な調子の諧調によって成立する空間は、端正な様式美を湛えている。この様式美はセザンヌによって「肉体を全く描かずに済ませた」と批判されるほど徹底している。

 アングルの美術史理解は、アングルの作品群から伺い知れるように公汎であり、且つ結束性が高く、加えて非常に示唆的である。顔料やバインダーの運用方法もまた多様であり、数百年の隔絶がある巨匠達の作品の研究にも余念がなかった。その研究の成果として組織的且つ合理的な方法を制作と言説によって的確にのこしている。

 他方では、ポスト「印象主義者」たちや「キュビスト」「現代美術家」の根底的な方法やアイデアに決定的な影響を与えており、アングル芸術の影響範囲、射程は底知れないものがある。

 アングルの作品に対する脚注は美術作品によるものを含め未だに途絶えることが無い。アングルの作品、その個性は、同時代の体制派、反体制派の必ずしも芳しくない評価だったにもかかわらず、アングルの影響は非常に甚大で、彼に先行する画家と彼に続く画家の代表作にさえ決定的な影響を与えた事例も少なくない。


 アングルは、絵画における最大の構成要素はデッサンであると考えた。その結果、色彩や明暗、構図よりも形態が重視され、安定した画面を構成した。その作風は、イタリア・ルネサンスの古典を範と仰ぎ、写実を基礎としながらも、独自の美意識をもって画面を構成している。『横たわるオダリスク』に登場する、観者に背中を向けた裸婦は、冷静に観察すると胴が異常に長く、通常の人体の比例とは全く異なっている。同時代の批評家からは「この女は脊椎骨の数が普通の人間より3本多い」などと揶揄されたこの作品は、アングルが自然を忠実に模写することよりも、自分の美意識に沿って画面を構成することを重視していたことを示している。

 こうした「復古的でアカデミックでありながら新しい」態度は、同時代のダヴィッドなどのほか、近現代の画家にも影響を与えた。印象派のドガやルノワールをはじめ、アカデミスムとはもっとも無縁と思われるセザンヌ、マティス、ピカソらの画家にもその影響は及んでいる。

 当時発明された写真が「画家の生活を脅かす」として、フランス政府に禁止するよう抗議した一方、自らの制作に写真を用いていたことでも知られる。


画像上から

・「アングル」

・「男のトルソ」

・「ナポレオン」

・「浴女」

・「グランド オダリクス」

・「ルイ13世の誓願」

・「ドブロリ公爵夫人」

・「泉」

2010年12月14日火曜日

カミーユ・ピサロ








 Camille Pissarro(1830-1903)フランスの印象派の画家である。印象派の最も中心的存在であった巨匠といえる。八回開催された印象派展の全てに参加した唯一の画家であり、豊かな色彩を用い、大胆に筆触を残す描写法や、温柔で闊達な表現、「ギュスターヴ・クールベ」に倣うパレット・ナイフを用いた絵画技法などによって、農村風景等を描き、印象派を代表する画家として現代でも非常に高く評価される。

 1885年頃より「ジョルジュ・スーラ」や「シニャック」などに代表される点描表現、つまり「新印象主義」の技法を取り入れたが、1890年頃には原点へと回帰している。農村風景が主であるが、質実な人物像や肖像画、風俗的主題、静物画、自画像も手がけるほか、晩年には都市景観なども描いている。

 また彼は、温厚な性格で知られ「エドゥアール・マネ」「エドガー・ドガ」「クロード・モネ」「ルノワール」「アルフレッド・シスレー」「フレデリック・バジール」「ギヨマン」など他の印象派の画家たちや、後期印象派を代表する「ポール・ゴーギャン」など、後世の画家らとも交友を重ねる。中でもポール・セザンヌにとっては最も良い理解者のひとりであった。

 パリに拠点を置いたピサロは、1855年に開催されたパリ万国博覧会で、バルビゾン派の大画家「ジャン=バティスト・カミーユ・コロー」や「ミレー」の作品に強く感銘を受け、特にコローから多大な影響を受ける。また写実主義の巨人「クールベ」や新古典主義の巨匠「アングル」にも手本を得ている。

 1861年にアカデミー・シュイスで「セザンヌ」や「ギヨーマン」、翌年に「シャルル・グレール」の画塾で「モネ」「ルノワール」「シスレー」「バジール」らバティニョール派(後の印象派)と呼ばれる画家たちと知り合う。

 その後パリやポントワーズ、ルーヴシエンヌ、ブルターニュなど精力的に活動をおこなう最中、セーヌ川河畔の都市ルーアンやロンドンでも制作している。1903年パリで死去。


画像上から

・「ピサロ」

・「曳船道」

・「ラ・ロッシュ=ギュイヨンの広場」

・「ポントワーズ郊外」

・「帽子を被った農家の若い娘」

・「テアトル・フランセ広場、雨の効果」

・「パリのポン・ヌフ」※ひろしま美術館

2010年12月13日月曜日

ジャン=バティスト・カミーユ・コロー







 Jean-Baptiste-Camille Corotは、19世紀のフランス美術界の中で最も優れた風景画家のひとりである。銀灰色を帯びた鈍色に輝く抑制的な色彩・色調を用いて独自の風景様式を確立した。繊細な写実性の中に、抒情詩的な情緒性を感じさせる風景表現は、当時、絶大な人気を博した。

 また、ピエール=オーギュスト・ルノワールやカミーユ・ピサロ、ベルト・モリゾなど印象派の画家たちに多大な影響を与えた。フランス各地を描いた風景画が主な作品であるが、人物画(肖像画)や神話・宗教的主題でも優れた作品を残している。

 1796年、パリでラシャ商を営む裕福な家庭に生まれ、典型的なブルジョワ階級層でった。1815年、父の意思により後継ぎとして織物問屋に見習いとして勤めるが、画家になる夢を諦めることができなかったコローは、夜間アカデミーシュイスに通う。1822年、両親の説得に成功し、画家として生きることを認められる。

 その後、パリ近郊バルビゾンやフォンテーヌブロー、ブルターニュなど、フランス各地を写生旅行する。その間、数回イタリアに旅行し自身の作風を広げる。

 またサロンへと度々出品し、自然に即した風景画家として次第に注目を集めるようになる。1847年、ロマン主義の巨匠ウジェーヌ・ドラクロワがコローのアトリエを訪問したこともあった。1850年頃から、夢想的な雰囲気を強く感じさせる独自の様式が顕著に示されるようになる。1855年、パリ万国博覧会の美術展で最高賞グランプリに輝く。晩年期まで精力的に制作活動をおこなうほか、1864年にはサロンの審査員にも就任する。   

 1875年、パリで死去。コローはオノレ・ドーミエなど貧しい画家らにも積極的に支援をおこなっており、多くの画家たちから慕われていた。


 活動時期が他の印象派の画家よりも早いため、写実主義、つまりバルビゾン派の画家とされる事が多いが、19世紀の4分の3を生き、次世代の「印象派」との橋渡しをした画家である。


画像上から

・「コロー」

・「真珠の女」

・「青い服の婦人」

・「ナポリの浜の思い出」

・「ヴィル・ダウレー」

・「網の引き上げ」

2010年12月12日日曜日

フェリシアン・ロップス







 Félicien Ropsは、ベルギーの耽美主義の画家で、エッチングやアクアチント技法の版画家である。ロップスは油絵よりもスケッチが得意で、最初戯画絵師として名声を得た。その後、晩年のボードレールと出会い、ロップスは一生忘れることのできないほど強烈な印象を受けたという。ロップスはボードレールの『漂着物』の口絵を描いた。この本は、フランスの検閲で削除された『悪の華』の詩を集めたもので、当然ながら、ベルギーで出版された。

 ボードレール、ならびに、ボードレールが表現した芸術と関わることで、様々な作家たちからの賞賛を得た。ロップスは象徴主義・デカダン派の文学運動と関係を持ち、そうした作家たちの詩集にイラストを描いた。詩の内容同様に、ロップスの作品も、セックス、死、悪魔のイメージが混在する傾向が強かった。

晩年、ロップスの視力は衰えたが、死ぬまで文学との関わりは持ち続けた。


画像上から

・「ロップス」

・「漂着物」口絵

・「ポルノクラート」

・ドルヴィ「Diaboliques」口絵

・「Le Mannequin」

・「聖アンヌワーヌの誘惑」

2010年12月11日土曜日

ジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラー







James Abbott McNeill Whistler

 19世紀後半のアメリカ人の画家、版画家である。おもにロンドンで活動した。印象派の画家たちと同世代であるが、その色調や画面構成などには浮世絵をはじめとする日本美術の影響が濃く、印象派とも伝統的アカデミズムとも一線を画した独自の絵画世界を展開した。

 耽美主義(※1)の代表的画家とも目されるホイッスラーの絵画は、現実世界を二次元平面に再現することよりも、色彩と形態の組み合わせによって調和のとれた画面を構成することを重視していた。作品の題名に「シンフォニー」「ノクターン」「アレンジメント」などの音楽用語を多用することも、絵画は現実世界の再現ではなく、色彩と形態から成る自律的な芸術だとする彼の姿勢の反映といえる。こうした彼の絵画に対する考えは、印象派やセザンヌなどに通じるものだが、ホイッスラーの用いる色彩は地味で、モノトーンに近い作品も多く、光と色彩の効果を追い求めた印象派の作風とは一線を画している。イギリスでは1862年ロンドン万国博覧会以来、日本の美術工芸品が紹介されており、上述のようなホイッスラーの作風にも浮世絵などの日本美術の影響が指摘されている。

 ホイッスラーの代表作の1つである『青と金のノクターン-オールド・バターシー・ブリッジ』は、ロンドンのテムズ川に架かる平凡な橋を描いたものだが、橋全体のごく一部を下から見上げるように描いた風変わりな構図、単色に近い色彩、水墨画のような、にじんだ輪郭線などに日本美術の影響が感じられる。

 1877年にロンドンのグローヴナー・ギャラリーにホイッスラーが出品した『黒と金色のノクターン-落下する花火』は、ほとんど抽象絵画を思わせるまでに単純化された作品であった。同時代の批評家で、ラファエル前派などの新しい芸術運動の理解者であったジョン・ラスキンもこの作品は理解ができず、「まるで絵具壷の中味をぶちまけたようだ」と酷評した。このため、ホイッスラーは名誉毀損でラスキンを訴えるに至る。ホイッスラーは訴訟に勝ちはしたものの、多額の訴訟費用を支払うために自邸を売却するはめになった。


※1道徳功利性を廃して美の享受・形成に最高の価値を置く西欧の芸術思潮である。これを是とする風潮は19世紀後半、フランス・イギリスを中心に起こり、生活を芸術化して官能の享楽を求めた。1860年頃に始まり、作品の価値はそれに込められた思想やメッセージではなく、形態と色彩の美にある、とする立場である。


画像上から

・ ホイッスラー

・「白のシンフォニー第1番-白の少女」

・「青と白のノクターン-オールド・バターシー・ブリッジ」

・「灰色と黒のアレンジメント-母の肖像」

・「灰色と緑のハーモニー-シスリー・アレクサンダー嬢」

・「黒と金色のノクターン-落下する花火」


2010年12月5日日曜日

カルロス・シュヴァーベ







 Carlos Schwabe,は、ドイツ生まれのスイス人画家である。彼はパリで、象徴主義運動のサークルの中で活動を始める。シュヴァーベの絵で特徴的なのは、ギリシア神話や寓意の人物を描く点である。文学通の画家として、本の挿絵を依頼される。エミール・ゾラの『夢』、シャルル・ボードレールの『悪の華』、モーリス・メーテルリンクの『ペレアスとメリザンド』、アルベール・サマン(en:Albert Samain)の『王女の庭で』などを手掛けた。シュヴァーベは以後の人生をフランスで送りる。


画像上から

・シュヴァーベ

・墓掘り人夫の死

・憂鬱と理想

・悪夢(「波の習作」)

・Acuarela sobre papel.

・エリュシオンの野