Camille Pissarro(1830-1903)フランスの印象派の画家である。印象派の最も中心的存在であった巨匠といえる。八回開催された印象派展の全てに参加した唯一の画家であり、豊かな色彩を用い、大胆に筆触を残す描写法や、温柔で闊達な表現、「ギュスターヴ・クールベ」に倣うパレット・ナイフを用いた絵画技法などによって、農村風景等を描き、印象派を代表する画家として現代でも非常に高く評価される。
1885年頃より「ジョルジュ・スーラ」や「シニャック」などに代表される点描表現、つまり「新印象主義」の技法を取り入れたが、1890年頃には原点へと回帰している。農村風景が主であるが、質実な人物像や肖像画、風俗的主題、静物画、自画像も手がけるほか、晩年には都市景観なども描いている。
また彼は、温厚な性格で知られ「エドゥアール・マネ」「エドガー・ドガ」「クロード・モネ」「ルノワール」「アルフレッド・シスレー」「フレデリック・バジール」「ギヨマン」など他の印象派の画家たちや、後期印象派を代表する「ポール・ゴーギャン」など、後世の画家らとも交友を重ねる。中でもポール・セザンヌにとっては最も良い理解者のひとりであった。
パリに拠点を置いたピサロは、1855年に開催されたパリ万国博覧会で、バルビゾン派の大画家「ジャン=バティスト・カミーユ・コロー」や「ミレー」の作品に強く感銘を受け、特にコローから多大な影響を受ける。また写実主義の巨人「クールベ」や新古典主義の巨匠「アングル」にも手本を得ている。
1861年にアカデミー・シュイスで「セザンヌ」や「ギヨーマン」、翌年に「シャルル・グレール」の画塾で「モネ」「ルノワール」「シスレー」「バジール」らバティニョール派(後の印象派)と呼ばれる画家たちと知り合う。
その後パリやポントワーズ、ルーヴシエンヌ、ブルターニュなど精力的に活動をおこなう最中、セーヌ川河畔の都市ルーアンやロンドンでも制作している。1903年パリで死去。
画像上から
・「ピサロ」
・「曳船道」
・「ラ・ロッシュ=ギュイヨンの広場」
・「ポントワーズ郊外」
・「帽子を被った農家の若い娘」
・「テアトル・フランセ広場、雨の効果」
・「パリのポン・ヌフ」※ひろしま美術館
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