Fedinand Victor Eugene Delacroix(1798~1863)
フランス・ロマン主義最大の巨匠である。色彩の魔術師と呼ばれたほど「色彩表現」に優れ、輝くような「光と色彩の調和による対象表現」や、荒々しく劇的でありながら内面的心象を感じさせる独自の場面展開で、文学的主題、歴史画、宗教画、肖像画、動物・狩猟画、風景画、静物画などあらゆるジャンルの作品を制作した。
自身は孤高の存在であったが、当時の西欧全体に広がりつつあった「ロマン主義」や新様式の先駆として注目された。特に画家が見出した影の中に潜む色彩は、ルノワールなど「印象派」を始めとした後世の画家たちに多大な影響を与えた。
1798年、裕福な政治家の家に生まれ、1817年から「新古典主義」の画家であったピエール=ナルシス・ゲランのアトリエで絵画を学ぶほか、同アトリエでロマン主義を代表する画家のひとり「テオドール・ジェリコー」と知り合う。1822年、『ダンテの小船(地獄の町を囲む湖を横切るダンテとウェルギリウス)』でサロン初入選後、『キオス島の虐殺(1824年)』、『サルダナパロスの死(サルダナパールの死)(1827年)』など数々の問題作をサロンで発表し、入選、落選を繰り返すが、これらの作品は、画家が他のロマン主義者たちから注目を浴びる大きな要因となった。
1832年、モロッコ・ナイジェリアなど北アフリカへの旅行に参加し、同地の強烈な陽光によって表れた「光と色彩の重要性」を発見する。また同地で手がけた無数のクロッキーや水彩画は、フランス美術史の中でも重要視されている。帰国後、『アルジェの女たち(1834年サロン出品)』など北アフリカに典拠を得た作品を次々と制作、同作は国家買い上げとなる。以後、大規模な装飾壁画の仕事や、万国博覧会で大きな成功を収める。晩年は重病におかされるなど健康を著しく悪化させ、1863年パリで死去。
なお「新古典主義」最後の巨匠「ジャン=オーギュスト・ドミニク・アングル」による≪線≫と、ドラクロワによる≪色彩≫は当時大きな対立論争となった。そしてアングルは「私はこの愚かな世紀と決別したい。」と述べた。しばしば劇的な画面構成と華麗な色彩表現は、数多くの画家たちに影響を与えた。
画像上から
・「ドラクロワ」
・「キオス島の虐殺」1823
・「墓場の少女」1824
・「民衆を導く自由の女神」1830
・「アルジェの女たち」1834
・「モロッコのスルタン」1845
・「自画像」1837
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