ラトゥール |
カフラ、花、果物のある静物画 |
ドラクロワ礼賛 |
デュブール家の人々 |
薔薇のある静物 |
シャルロット・デュブール |
Henri Fantin-Latour(1836-1904)
19世紀フランスで活躍したサロン画家である。過去の偉大な巨匠らなど、古典に倣う写実的表現と洗練された調和的な色彩描写で、人物画(肖像画)、集団肖像画、静物画、風景画などを手がける。特に対象の内面や性格に肉薄する肖像表現や、理知的な静物画はサロン(官展)などで高い評価を得た。
またエドゥアール・マネやクロード・モネ、ルノワール、フレデリック・バジールなど印象派の画家らとも親しく、彼らが取り組んでいた伝統的な絵画表現への挑戦には、理解を示していた。ただし印象主義的な表現には否定的であったといわれる。
敬愛していた写実主義の巨匠「ギュスターヴ・クールベ」のアトリエでも、制作をおこなっている。またこの頃、ルーヴル美術館で「ティツィアーノ」や「ヴェロネーゼ」などルネサンス期のヴェネツィア派の作品、「レンブラント」や「フェルメール」「フランス・ハルス」「ピーテル・デ・ホーホ」「ヴァン・ダイク」など、17世紀フランドル・ネーデルランド絵画、「アントワーヌ・ヴァトー」や「ジャン・シメオン・シャルダン」を初めとした、ロココ期の絵画を模写し、これらの作品から多くのことを学ぶ。
また、ロマン主義の大画家「ウジェーヌ・ドラクロワ」やバルビゾン派の画家「カミーユ・コロー」などの作品に強く惹かれる。
さらに「ヴェロネーゼ」の代表作『カナの婚礼』を模写中に英国で活躍したアメリカ人画家「ジェームズ=アボット=マクニール・ホイッスラー」と出会い、長く交友関係を築くことになる。後に画家は、ホイッスラーと共に「三人会」を結成している。
英国へ旅行中、同地で花の静物画で成功を収める。1861年にサロン初入選するものの、当時、画家はカフェ・ゲルボワに通い続け、小説家兼批評家のエミール・ゾラと、その友人であった「マネ」「モネ」「ルノワール」「バジール」など、印象派の画家らと知り合い、彼らのアカデミズムへの挑戦に高い共感を持つ。またこの頃、ルーヴル美術館で模写をおこなっていた女流画家「ベルト・モリゾ」にマネを紹介。両者を引き合わせる。 1864年に『ドラクロワ礼賛』を、1870年に『バティニョールのアトリエ』をサロンへ出品、一部からは否定的な意見も受けたが、殆どの批評家や民衆から高い支持を得る。 その後、数多くの肖像画や静物画を制作するが、印象主義の台頭によって人気に陰りが見えるようになった。
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