2010年12月2日木曜日

ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス









 19世紀イギリスに生まれたラファエル前派の特徴は、自然観察に基づく厳格な細部描写と歴史的素材をロマンティックに表現する柔和な姿勢である。

 1847年、イギリスで若い画家たちの間で小さなグループができた。彼らは今日のつまらない芸術に激しく反発し、絵画をもっと崇高な道徳的なものにしようとした。

 アカデミーは、ルネサンス期のラファエルの絵画を模範としていた。しかし若者たちは、ラファエルはあまりに劇的すぎて、わざとらしいと考えた。彼らはイギリスの絵画を、アカデミックな様式から解放し、ラファエル以前の、絵画の素朴さへと返そうとした。これが「ラファエル前派」の運動である。

 イギリスは、社会的な抗議行動の機運が高まってきている時期であった。アイルランドが飢饉に見舞われ「ハングリー・フォーティーズ」と言われたのは1840年代であった。倦怠感が覆っていたイギリスの画壇では、大きな変化が必要だったかもしれない。

 グループは、ギリシャ神話やアーサー王の伝説、シェイクスピア、キーツの詩などから主題を借り、好んで描いた。ラファエル前派グループ自体は、1850年代までしか続かなかったが、人気は衰えず、その後のアート・アンド・クラフト・ムーヴメントや象徴主義へ、大きな影響を与えた。

 

 今日のミュージアムのジョン・ウィリアム・ウォーターハウス(John William Waterhouse)は、ラファエル前派の代表的な画家である。

 ウォーターハウスに描かれる彼女たちは魅惑的だ。艶やかで、そのくせどこか近寄り難い高貴な美しさを纏う。自らが美しいことを誰よりもよく知り、知っているからこそけして誰にも媚びない。許される前に手を触れようものなら、幻影に酔ったまま何処か未知の世界に引きずり込まれそうだ。崇高で無垢な…まるで人を惑わせる、あやかしのように。

 彼は代表的なラファエル前派とされるものの、その個性は本来ロマン的古典派とでも呼ぶべきかもしれない。


 ウォーターハウスは、ムンクと同様に幼い頃に母と弟を結核で失っているが、彼のの絵からは、荒涼とした感覚は微塵も感じられない。ムンクが幼い傷により病んだ精神を直視したのに対し、ウォーターハウスはその経験から、甘美なイリュージョンに安息を求めたように見える。1874年、初めてのアカデミー出展作『Sleep and his Half-Brother Death(眠りと異母兄弟の死)』では、神話の世界を借りて叙情的に個人的な哀しみが描かれ、彼の持つ表現の個性がうかがえる。


(画像)上から

・ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス

・眠りと異母兄弟の死

・クレオパトラ

・オフィーリア(1894)

・オフィーリア(1910)

・人魚

・受胎告知

・シャロットの女




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